時期 | 内容 |
平成24年4月 | Zが泉大津高校に赴任。 |
平成25年4月 | 浄閑が泉大津高校に赴任。 木村校長や林首席と前任校が同じということで盛り上がっていて、校長に意見する中谷教頭を男性の先生5人くらいでいじめていた。 |
平成25年4月〜平成27年3月の期間ずっと | 朝8:00〜8:20、浄閑から、職員室の自席で仕事中に、ほぼ毎日「おはようございます」のあとに続けて「今日の服装はデートですか?」「今日の髪型は・・・」など、服装・髪型などについて言われる。平成26年4月頃からは、浄閑が話しかけてきそうな時はZは廊下に出て避けていたが、走ってきて声をかけられる時もよくあった。 |
平成25年4月〜平成27年3月の期間ずっと | 毎日、職員室内で浄閑を含めた生徒指導の先生たち(近藤先生・山内先生・浄閑先生・田中太郎先生)が、生徒の写真一覧を見ながら「この生徒は今日は髪の色が茶色く見えた」「スカートを短くしていた」などを話している中で、しょっちゅう「Z先生くらいの色なら?」など、私を話題に出して、冗談にして先生たちで笑っていた。私以外の女性の名前も次々に出して笑っていた。髪の色見本帳と、私の髪を比べていることもあった。山内先生の髪が薄いことも、よく冗談の対象にしていた。浄閑は山内先生の机上に育毛剤を置いて大声で騒いだり、後ろからスマホで撮影して騒いだりしていた。 |
平成26年3月 | 入試採点の時に、体育科は国語の漢字採点の係になる。採点の基準は国語科で作る決まりがあるが、基準会議に体育科の浄閑が、しゃべり続けて邪魔になるということを他の先生たちから聞き、国語科主任であったZが注意をした。浄閑は「美しい花にはトゲがあるんですよ」と、体育科の田中淑子先生と、悪口を言っていた。このとき、国語科全体と体育科全体で採点基準を譲らず、険悪な状態となった。 |
平成26年3月 | 学年の飲み会で、浄閑に「Z先生って年齢いくつなんですか」「そうなんですか。30くらいに見えました。肌の感じが」と言われた。 これ以後、職員室で私がタバコを吸っているという噂を流された。 職員室での朝の挨拶の時に、浄閑に「タバコ吸ってるんですよね」と言われることが何回かあった。 |
平成26年10月 | 若手10人くらいの飲み会で、恋愛の話題になった。浄閑に「裸で車に乗って(相手の)家に迎えに行ったらいいんですよ!」と言われた。 「コンドームに針で穴を開けるんですよね、やってそう。俺も気をつけてます!」と言われた。性的な話はしていなかったのに、急に横から来て、嫌なことを言われた。 |
平成27年5月 | 職員全体の歓送迎会で、浄閑がパンツ1枚になり、山内先生も同じように脱がせて、浄閑の顔写真を山内先生に貼ってライザップのCMの真似(ビフォーアフター)をした。体型と髪型を笑っていた。嫌そうにした人もいた。木村校長はとても喜んでいた。私はいじめの雰囲気がつらかった。 |
平成27年5月 | 遠足の後の飲み会の2次会で、近藤先生に「体だけの関係になりたい」と言われて、おしりや腰を触られた。「胸も触っていい?」や「昼間は何でもない感じで、夜だけそういう関係がいい」など、色々言っていた。近藤先生は4・5人に同じことを言っていると知っていたので恐くなかった。 |
平成27年9月 | 若手10人くらいの飲み会で、私の合皮のインナーを見て、浄閑に「殴られるのとかときめいたりするタイプですか?」と言われ、実際に殴る真似をしてきた。浄閑が自分の恋愛を話していて、「コンドームに針で穴を開けるんですよね、やってそう。俺も気をつけてます!」と言われた。私は会話に参加していなかったのに急に横から来て、嫌なことを言われた。 |
平成27年9月 | Zが国語の部屋に一人でいるときに、女子生徒が来ては、浄閑に嫌なことを言われると相談に来ることがあった。全学年の女子が来た。恋愛の話を訊かれる、太いことや不細工だと言われるという内容だった。もともと学校の生徒指導で、毎朝先生が生徒に校門で「よくそんな太い足出せるわ、ミニスカート似合ってないよ」と言っているような学校だった。その延長がいつでもどこでもあった。 生徒の言った内容を校長に報告をした。校長は浄閑に注意をしたと聞いた。 |
平成27年9月 | 授業の合間に、廊下を歩いていたら、浄閑が急にやってきて「そんなに美人じゃないですよね」と言われた。 この頃から、夜眠れなくなり、朝起きたら、お腹やふとももをカッターナイフで切っていることが続くようになった。(平成29年ころまで) 生理痛がひどく、ベッドから起き上がれないような日もあった。 気分が苦しく、しんどい日が続き始めた。 |
平成27年12月 | Zが木村校長から注意を受け、髪の色を真っ黒にした。 木村校長は、若手職員の髪を黒に染めさせていた。(近藤先生・貴志先生・他) |
平成27年12月 | 浄閑のクラスの生徒3人がZのクラスの生徒1人をいじめていることが分かった。当日中に調査があり、校長はいじめとみなした。Zは教育委員会のマニュアル通りに加害者側の生徒の保護者連絡を求めたが、浄閑の判断(加害者生徒を信じたい・加害者の親は皆モンスターペアレントなので、もめたくない・家の鍵を隠したり教室に閉じ込めたり、鞄を取り上げたり、ラインで脅したりは、前任校のいじめと比べれば、こんなものは女の子同士のじゃれあいであって、そもそもいじめではない)により、被害者側にのみ連絡し、生徒指導対象ではなく担任からの指導のみとなった。 1月、年明けでZが学校に来ると、浄閑の付近の先生たち(中村先生・森野先生・他)から「あの子達はいじめじゃないのに、Z先生がいじめっていうことにしたんか」と詰め寄られた。事情を説明して納得してもらえたが、「浄閑先生がそういうふうに言いふらしてた。あれはいじめじゃないって」と聞いた。 ずっと浄閑がルールやマニュアルを乱し、好き勝手に振舞っていて、関わりたくなかったが、まだ服装や髪型に関して朝はつきまとわれた。毎日しんどかったし、職員室に入ることが嫌だった。 |
平成27年12月 | ずっといじめられていた中谷教頭が退職した。 7月頃から教頭は休みがちで、タクシーで遅れて学校に来て、苦しそうに早退するので相談できなかった。 校内のセクハラ対策委員会やコンプライアンス・いじめ対応の相談窓口が不在になった。 木村校長は、生徒の相談をしていても、「こんなかわいい顔してるのに、態度悪いんか」など、女子の容姿を言う・浄閑と仲が良く、しょっちゅう飲み会に行っているので相談できなかった。木村校長は離婚暦が2回あることや、今の自分の彼女の話を職員室でする時があった。校長の仲良しグループが学校内で力があり、浄閑の相談はできなかった。 |
平成28年1月 | 木村校長の仲良しという紹介で、端村教頭が教育委員会から来た。 |
平成28年2月 | Zが職員室で入試の関係資料作成でコピーを職員分していた時に、1年の生徒指導(浄閑・盛山・西本)が3メートルくらいの距離で生徒写真を見ながら話していた。 盛山「Z先生くらいの髪の色ならどうですか?」 浄閑「ありえないですよね」 西本(立ち上がってくるっと回って)「私くらいの髪がナチュラルでいいですよね!」 盛山「あれはありえないですよね」 浄閑・西本「ありえないですよねー」 と言って3人で笑っていた。 盛山・西本は新任で、体育会系で浄閑と仲が良かった。3人でいつも固まっていた。盛山も浄閑と似ていて、性的な冗談が多くて苦手だった。 これまで浄閑に嫌なことをいっぱい言われてきたけど、これから3人になったら、学校内で避けにくいと思って苦しくなった。毎日家に帰ったらずっと泣くようになった。国語科の先生に相談したが、「西本先生は女性だからセクハラじゃない」と言われた。 入試の採点では体育科と国語が同じなので、一緒に作業することはつらいと思い、1週間眠れず、教頭宛に手紙を書いた。 手紙で、この出来事と、自分は苦しいこと、入試の採点で、このメンバーと遠ざけて欲しいことを伝えた。 |
平成28年3月14日? | 入試の採点の時に、盛山と隣の席でペアで作業するように配置された。1日目は体が震えて作業できなかった。盛山は雑談が多いので、声を聞くのが怖かった。夜、家に帰ってずっと泣いて、校長宛に教頭に宛てたのと同じ内容の手紙を書いた。 |
翌日 | 校長が手紙を読んで、すぐに聞き取りをして、全員事実が一致した。 校長室に呼ばれて3人が私に謝るという場があった。3人とも、「ささいなことでも傷つく人がいることを失念していました。すみませんでした」と言った。校長は、今後はセクハラになるかもしれんから気をつけるようにと浄閑に言ったと言っていた。 トイレで泣いて、採点に戻った。 |
平成28年4月 初旬 | 体調が悪く、学年会議の日に休むという旨を学年主任に伝えたが、無視され、休むというメモを3回投げ返された。学年主任が私を無視したり、職員室で校長のいるときだけ、怒鳴ったりした。 胸が痛くなり、家で包丁で手首を切った。それから休んだ。 2週間ほど眠って、4キロ痩せた。 |
平成28年5月 | 病気休暇の手続きをした。困っていること、浄閑にされたことなどA4用紙7枚の手書きの文を校長に渡して、セクハラの解決をしてほしいことを伝えた。 5月中旬に原山台の珈琲館(チェーン喫茶店)に大田校長・端村教頭・Zで集まり、手紙を見ながら、聞き取りがあって、校長は「解決するようにします」と言った。このとき、「触られたか・触られていないか」を念押しされた。「浄閑先生は熱心にクラブ指導していて、そんなことするはずない!」といきなり否定された。 |
平成28年6月上旬 | 電話で校長とやり取りしながら、解決が進んでいるか訊いたが、あいまいな返事ばかりで、浄閑に聞き取りしたのかどうかも、はっきり校長は言わなかった。校長では事態が進まないから、校内のセクハラ対策委員会に相談したいと言ったが、「セクハラ対策委員会も、学校の組織の一つだから、トップは校長なの、一緒なの、校長が対応するからね」と言われて、他の人に電話を代わってもらえなかった。基本的に電話は全部教頭以外に代わってもらえなかった。教頭は、校長が動きます、という感じで何もしなかった。 |
平成28年6月中旬 | 校長がZの父親と母親の職場に電話をし、Zに黙って珈琲館で校長・事務長・両親の4人で話をした。 母親がZに帰ってから言うには、 Zの生育暦を知りたい、アスペルガーじゃないか、働くなら何も言わずに何もなかったことにして働いて欲しいという説得だった。 以後ずっと、校長が忙しくて今日は何をした、だのばかり聞かされるようになった。 校長はクスベクリニックに4回行って、Zの病気の状態を聞きにいった。そのつど、学校の環境改善とセクハラの防止の必要性を医師が説明したと、医師から聞いた。 |
平成28年6月中旬 | 両親との話がおかしいと思い、校長に電話をしても、浄閑に聞き取りしたか答えず、アスペルガーの検査を受けてくれ、もう電話してこないでね、と繰り返した。校長は母親の職場に毎日電話をかけてきて、お嬢さんを黙らせてくれ、言葉での声かけはセクハラじゃないよね、と言っていた。 Zが教育委員会人事課 中田さんに電話をし、以後は教育委員会から校長に、解決するように何度も連絡がされている。そのたび、校長は委員会には適当な嘘の報告を繰り返していた。 和泉警察、泉北警察のKさん、泉大津警察に相談に行き、泉大津警察の地域安全課Hさんが学校に来て校長・Zと話し合いの場を作ってくれた。この警察官が何度も校長に直接話をしに行った、12月までで計4回行ったと聞いた。 浄閑への聞き取りについては、校長が「僕、ようそんなこと聞けませんわ」と何度も言っていた。 |
平成28年7月 | 校長・事務長・Zで珈琲館に呼ばれ、脅しに近いような説得がされた。事務長はずっと横を向いて耳を押さえて「僕は校長に突然車に乗せられてきただけです。何も聞いていません」と言っていた。 知能検査の結果を知りたい、働くなら何も言わないで働かないとね、触られてないならそもそもセクハラにならないの、と言われ続けた。 「浄閑に聞き取りしたけど、もう3月に謝ってる」と言っていた。(後の委員会の調査で、聞き取りは行なっていないことが浄閑から分かっている) |
平成28年7月〜9月 | 病気休暇明けの1日目に、朝職員室に入ろうとしたら職員室のドアの前で、浄閑に、いつものように声をかけられた。また苦しくなり、職員室に入れず、教頭に現状がどうなっているのか聞いた。何もしていないし、あいさつしないようになんてできませんと言われた。 Zが他の先生たちに相談したが、校長に止められてるからと言って、誰も行動できないようになっていた。Zが何を相談したのか、全部校長に報告されていた。人権委員会も、セクハラ対策委員会も動かなかった。 ずっと体調は悪く、薬を飲んでいたが、学校でも立ったり歩いたりが困難で、横になることが多かった。毎日ずっと泣いていた。毎日、セクハラをなくしてほしいと訴えた。 校長も教頭は何もしなかった。校長は委員会には解決しようとしていると言い続けていた。 |
平成28年10月〜12月 | 10月ころから、浄閑が自分のことを言われていると気づき始め、生徒に、Zは被害妄想の病気で休んでいると言いふらし始めた。 毎日夜中に電話相談をかけて、胸が痛く、眠れなくて何回も体を切った。24時間泣いていた。4時間おきに薬を飲んで横になっていた。 学校では、授業に出てはいけないと言われ、教頭が代わりに授業をしていた。国語の部屋で、佐原・佐々木・保健室の先生が見張りになって、待機させられていた。このとき、10人以上の職員に相談したが、佐々木さん・佐原さんには「若いからアイドル扱いされているのよ」「女扱いされてていいじゃない」、教頭には「女性は逆に髪形や服装について何も言わないと怒るでしょ?」と言われていて、苦しかった。 直接に浄閑に「セクハラをやめてほしい」と言おうと思ったが、校長がずっと止めていた。手紙も止められていた。 |
平成28年12月終業式 | 終業式を迎えてしまうが、何も解決せず、体調がしんどい、生活できないくらいになったことを泉大津警察に相談しに行った。Hさんがおらず、30歳くらいの男性の警察官が対応した。警察で、「1人につき1回しか警察は動かないんですよ、あなたには何回も主任が行ってるでしょ、公務員なら分かるでしょ、教師は警察と同じで縦なんだから、警察は学校に入れないんすよ、教育委員会しか無理っすよ」「もう来ないでくださいね」と怒鳴られた。 視界が真っ暗になって、苦しかった。 手紙も、直接言うことも校長命令で禁止されていたから、放送で浄閑にセクハラをやめてほしいと言った。そのあと、ネットで生徒が沢山書き込んだ。その時に、浄閑のクラスの生徒の書き込みでは、 放送直後に、浄閑が「聞くなー!! 全部 あいつの被害妄想だ!」と言いながら走り回っていたらしい。それを真に受けた生徒たちが広めていた。その後、校長が「事実無根です」と言い続け、体育科の菅先生が「セクハラの事実は多々有る」など、色んな先生が反論していたと聞いた。 |
平成29年1月 | 診療命令が出されて、「2週間以内に受診するように。校長命令に従わないと分限免職もありうる」と校長が毎日電話してきた。 通院していたクスベクリニックは、校長の自宅に近く、校長が何度も訪ねるので、転院した。 |
平成29年1月 | 教育センターの学校経営研究室 室長 大崎弘司 先生なら解決できると教頭が紹介し、1月14日に会って、それから大崎先生と教育委員会の主導で調査が行なわれた。 |
平成29年1月〜3月中旬 | 委員会の指導下で、大田校長が聞き取り調査を行なった。調査不十分で、4回くらいやり直しで調査した。浄閑は、色々言ったことは認め、あやまりたくないからあやまらないと言い通した。盛山・西本・藤原学年主任も皆事実を認めた。 2月3日に、勝手にZの住所を調べた実習助手の佐々木さんが、職場のZの荷物を車で持ってきた。「もう仕事やめるよね?」と言われた。 3月24日に、職員全体に、校内でセクハラがあったことを周知し、校内研修を委員会の指示通りに行なった。 ここでZが復職するはずだったが、3月末日を迎えてしまい、校長が転勤、委員会の中田さんも異動で、空白があり、復職できなかった。 |
平成29年4月 | 教育委員会は石村さんに引継ぎ、学校は端村教頭が中心となって、大崎先生主導で、浄閑たちへの指導を引き続き行なうことになった。 4月当初は、新しく赴任した濱本校長が浄閑と話したら、「俺は何もやっていない。全部Zの被害妄想だ」と言い張り、これまでの調査を全部否定し始めた。埒が明かないとなり、これまでの聞き取りに加えて、教頭が調査を引き続き行なった。 盛山・浄閑・藤原は、発言など全部認めたが謝らない・西本は認め、謝罪文を書いた。 教頭が7月・8月・9月・10月・11月・12月・1月に何度も各人を呼び出して指導し続けたと聞いた。月に2回ほど、委員会・大崎さん・Zで集まり報告会があった。 |
平成29年10月31日 | 委員会からの報告会があった。大田校長・端村教頭は委員会からの口頭注意(迅速に解決できなかったこと)、浄閑・盛山・西本・藤原は教頭・校長からの口頭注意指導となった。 委員会から校長からの謝罪会を希望するか訊かれたが、校長のうち、2割くらいは、30秒頭を下げ続けろと言ってもできないのがいる、大田校長はそういうタイプに該当するから、謝罪会をしても虚しいだけだろう、やめておいてはどうかと提案された。謝罪は教頭からだけあった。 体調も、気分もまだまだ不安定で、カウンセリングに通っていた。まだ体力も無く、夜も眠れず、毎日泣く生活が続いていた。 |
平成30年4月 | リワークプログラムを受け、転勤が決定して復職することになった。 |
![]() 太田 正人 師 |
![]() 端村 誠 師 |
![]() 林 恵史 師 |
![]() 山内 清也 師 |
![]() 浄閑 智広 師 |
![]() 近藤 真之 師 |
![]() 藤原 康男 師 |
![]() 田中 淑子 師 |
![]() 佐原 好美 師 |
![]() 森野 智佳子 師 |
![]() 三輪 健一郎 師 |
![]() 三島 香住 師 |
![]() 前田 利幸 師 |
![]() 貴志 沙織 師 |
![]() 片畑 友亮 師 |